すき焼きのルーツ「牛鍋」
「すき焼き」の言葉のルーツ
  現在、すき焼きの言葉のルーツは、明治の始めに食べられ始めた「牛鍋」が始まりで、 関東では「牛鍋」、関西では「鋤焼き」と称していたが、関西の「鋤焼き」がその後「すき焼き」となり、定着したものである。

 明治時代にはいると、文明開花の風潮から、牛肉を食べないものは文明人でないと言うような時代となり、「牛鍋」はその時代の食を風靡するものとなった。

 牛鍋には、下記のような記載があります。当時は冷蔵保管技術もなかったことから、何となく保管の悪い、臭気の漂う牛肉をネギのあくみで消して、味噌や醤油を入れて食べたとある。
竹中久次「次郎長が助けた牛鍋より」
 牛鍋は鉄鍋に1人あたり、200gの牛肉を4人前分として入れ、薬味はネギだけと言う至ってシンプルナものであった。たれは味噌か醤油を使用した。現在のすき焼き風のものである。

近代日本文化年表
小菅 桂子著

  「東京繁盛記」には、牛鍋屋の牛鍋には上等、並等に分かれ、脂で鍋を磨いて煮るのを焼き鍋と言って1人前5銭、ネギを入れ煮たものが並等で1人前3銭5厘、上等はすき焼きであり、並等は牛肉の煮込みであるとの記載がある。
日本食生活史
渡辺 実著

 仮名垣魯文の明治4年の牛鍋の「安愚楽鍋」の紹介では、「スープの吹下地で、ネギを細くそいで、鞍下の極というところをそぼろに刻んで」とある。鞍下はロースであり、スープで味付け、牛肉とネギを鍋で煮て食べるのである。

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